お墓は哲学だ!「死んだらどうなる?」目に見えるもの 見えないもの
2025.09.04 ブログ一見するとお墓とは関係ないようなタイトルですが、実は密接なんです。

目に見えるもの・・・とは「物質」。ご自身がご自身の目の前にあるものすべてにおいて、その物質に反射した「光」を眼球を通して脳内で「物質」として認知しています。また「物質」は目を閉じた状態・・・光の作用が無くても手指など肉体が触れることにより認知が可能です。

目に見えないもの・・・とは「精神性」。それは「意識」であり「思い」。光も接触性も必要ありません。なぜなら脳内で完結しているから。これはいわゆる「魂」というカテゴリーのお話。
これらをもっと突き詰めたかった私はある「謎理論」に達しました。それは・・・
「生きていれば 粒(粒子)。死んだら波」
人の肉体は細胞(素粒子、もっと言えば量子)のカタマリでありますから、いわば「粒」のカタマリ。ところがその粒たちのリニューアルが途絶えると肉体としての「死」を迎えますね。それは「物質界」からさよならをすると同時に「精神界に回帰する」。俗説的に言えば肉体から魂が解放されたこと。なので魂が元居た場所は「精神界」なのでは?ということは、魂はスタート不明な過去から永遠に存在し、ある時私の(あなたの)肉体を間借りして物質界を謳歌し、やがて精神界へ帰っていく。
ようするに「死んだらどうなる?」という永遠の疑問の一つの答えとして私は「死んだら《波》になる」けど、実は「固有の波(周波数)を持つ魂がたまたま誰かの肉体に宿っていただけ。肉体が滅べば波として再び精神界に回帰する」のではなかろうか?という謎理論であり仮説を立てたのです。よって魂とは「波である」と。
ところで波といえば「海」。海で波が見れるじゃないか?と思われるかもしれません。が、しかし、海の波は「目に見えない空気の作用」によって現象として認知できるもの。目に見えない精神界とは無縁と思われるかもしれませんが、そんなことはありません。なぜならこれが「色即是空 空即是色」のわかりやすい一例かも。
さらに言えば、過去に生きた見えない先祖(見たことあるおじいさん、おばあさんではなく、自分が生を受ける前に亡くなっている人)がいたおかげで今生自分が生きている。先祖代々からの命が引き継がれている。ご先祖さんがいなければ、あなた自身は存在していないでしょ?←ここ重要。
要するに、実態が見えないものほど実は重要な要素である・・・と。海の波なら空気が風として振る舞い、それがたまたま海で起これば波として認知されているだけ。風が起きなければ天気の変化が起きず、晴れっぱなしや雨の降りっぱなし。。。また空気が無ければ地球上の生物は生存できない。。。色即是空・空即是色とはそういうことだと思うんです。ただし、空気も海の水も「粒」であり我が謎理論で言う「波」はこの場合において整合性は乏しいですね。
ではこの謎理論を人目線、特にお墓というフィルターを通すとどうでしょう?
粒のカタマリとしてこの物質世界に存在する我々は、物質世界を離れ魂という目に見えない精神世界の波に回帰した先祖に対し、その世(精神世界があると明確化したとすれば、あの世ではない)での「冥福」を祈ってきました。これは言うなれば目には見えない「意識・思い」という「波」。ではその世の魂は物質界に存在する我々に何もしてくれないのか?これってこれまで納得できる言語化ってあまりピンとこなかったと思いますが、あえて言うなれば「その世の人たちは物質界に生きる我々に<幸福に満ちた人生を歩み死を迎えてほしい>と祈ってくれている。これも「意識・思い」という「波」。この祈りあう場所というのが「お墓」。よって祈りとは「波」といえるのでないでしょうか?なぜなら「祈りは物質界において目には見えない」から。そして前述の通り魂も「波」。そこに矛盾はないと思います。なぜならそれらの波は独自の「周波数をもっている」から。祈りの周波数と魂の周波数はおそらく異質であり同質・・・という矛盾めいた曖昧さの世界感なんだ!って思えば辻褄が合うんです。それは科学において「わからないものは、わからない」というのが常識というのと同じこと。明確にできないものはそのまま受け入れればスッキリ!1たす1は2 じゃない・・・と同じこと(ググってみてね)。精神世界の魂にとっては当たり前でも物質世界でボサーっと生きている我々は受け入れにくい・・・を「理由であり答え」と受け入れちゃう!そうすると物質世界に生きる我々においては「視野が広がる」んです。これがきっと「気づき癖」の第一段階。いままで見えていなかったものが急に見え出す面白さ!これは物質世界でしかできない経験。なぜならそのインスピレーションは「波という祈りの世界から直接脳に降りてくる」から。よって情報を求めアンテナを張るとはそういうことです。そして気付き癖とは「アンテナと受信装置である脳がビンビンになってる」ということ。面白いでしょ(笑)
ところで「死んだらどうなる?」
目には見えない「千の風になる」・・・はおそらく当たっているでしょう。しかし今日からは千より桁を上げての「万の波になる」と上書き保存してみてはいかがでしょう?こういう言葉遊びができるのも気づき癖の成果(笑) 歌詞の続きは その波は大きな空を吹きわたっています~♬ 完璧!
なんですけど、歌詞の冒頭「わたしの~お墓の~前で~泣かないでください~そこに~わたしはいません~眠ってなんかいません~」ってあるじゃないですか。そりゃそうでしょ!肉体という物質と物質世界から解放され「波」という何にも縛られてない身軽さですよ。そりゃ大きな空も吹きわたるでしょうし、地球どころか過去も未来も行ったり来たりしますわww
でもね、粒のあなたがお墓の前で泣くならば、波という魂である愛した誰かは地球の裏側からでもアンドロメダに旅行中でもすっ飛んでお墓に来て、そっと寄り添ってくれるんです。でも粒の我々の目に見えるアクションは起こせない・・・。よって波の魂は粒のあなたに「幸福に満ちた人生を歩み死を迎えてほしい」と祈ることしかできないし、そう祈られているのですよ。そう考えた方が「幸せ」だと思いませんか?となれば、あとは今生物質世界の一粒であるあなたの「行動次第」。祈ってばかり、泣いてばかりじゃ「ダメ」ってことです。このへんは仏教が解き明かしてくれています。

右から「がんにしくどく ふぎゅうおいっさい がとうよしゅじょう かいぐじょう ぶつどう」
この一文は法華経をお唱えする宗派の回向文。いわばお経の一節。宗派が違うと言い回しが若干異なりますが、意味合いは同じ。意味は「私の善い行いの果報が、この世の中のありとあらゆる存在すべてに広く行きわたり、私を含めたすべての人と、生きとし生けるものとが、お互いに対して深い慈しみの心を持って、自ら勤め励む道をたえまなく進んでいくことを願います」となるそうです。
要は「生き方」。お墓を通してみるとわかりやすくなりません?
またこの一文は葬儀や法事、お墓での埋葬供養等の最後の方に祈りのプロであるお坊さんが唱えています。今後は注意して聞いてみてください。お坊さんは波の故人と粒の私たちの幸せを祈ってくれているわけです。でも祈ってくれているだけですからそれをどういう方法で行動し実現するか?は、祈られた一粒のあなた次第!であろう・・・と私は考えます。
というわけで、死んだらどうなる?も無事ソフトランディングできました。書いてる途中でヒヤヒヤしたぜw この粒と波のお話は様々なケースで展開可能です。また面白い事例が降りてきたら書いてみようと思います。でも着地点は「がんにしくどく・・・」に変わりはなさそう・・・。それと、
千の風・・・はお墓がないと成り立たない歌です。歌詞を捻じ曲げ拡大解釈して「お墓なんていらない」って考えだと文字通り「はかない人生」ですね・・・って思われますよ、知らんけど。
ではでは。
あ、ちょっと加筆します。この理論は妄想の産物です。なぜなら波から粒に戻ってきた人の話を科学的に証明できないから。よって、科学は宗教を証明するためにあるとも。正解はご自身が「波」になった時に確認してください!考えようによっちゃ、それも楽しみ!

