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死生観方便コラム Season 2:第2章 先祖供養の先にあるものって、何だと思う?

2026.08.28 死生観方便コラムシーズン2

先祖供養は大切です。

ご先祖様に感謝しましょう。

亡くなった人を忘れないようにしましょう。

お盆には墓参りをしましょう。

彼岸には手を合わせましょう。

寺も石屋も、ずっとそんなことを言ってきた。

別に間違っているとは思わない。

私も先祖供養は大切だと思っている。

ただ、最近ひとつだけ疑問がある。

それ、もうみんな知ってない?

ということである。


先祖を粗末にしたい人が増えたから、墓が減ったのだろうか。

親なんて死んだらどうでもいい。

先祖なんて知ったことではない。

そんな人ばかりになったから、墓じまいが増え、散骨や新しい葬送の形が選ばれるようになったのだろうか。

たぶん、そんな単純な話ではない。

墓を持たなくても、親を大切に思う人はいる。

散骨を選んでも、亡くなった人を思う人はいる。

宗教は特にないと言いながら、盆になれば手を合わせる人もいる。

つまり受け取る側には、すでにどこかに、

「先祖は供養するもの」

という認識が入っているんじゃないか。

だとしたら私は、

「先祖供養は大切ですよ」

と、もう一度言うだけでいいのだろうか。

知っている人に、

知っている答えを、

何度も渡しているだけになってはいないだろうか。

だったら、その先を聞いてみたい。

「先祖供養の先にあるものって、何だと思う?」

■「子供に迷惑をかけたくない」

墓の話をしていると、よく聞く言葉がある。

「子供に迷惑をかけたくない」

私はこの言葉を否定するつもりはない。

むしろ親としては、ごく自然な感情だと思う。

自分が死んだあとまで、子供に負担を残したくない。

だから、

「墓はいらない」

「散骨でいい」

「自然に還りたい」

そう考える。

それもひとつの答えだと思う。

ただ、私はここで少し止まる。

その選択をするのは、多くの場合、これから先に逝く親である。

親が子供に言う。

「俺が死んだら散骨でいいよ」

「墓なんていらないから」

「お前たちに迷惑をかけたくない」

まだ親が生きている子供は、

「分かった」

「好きにすればいいよ」

と言うかもしれない。

それで話はまとまる。

でも、その子供はまだ、

親を亡くしたことがない。

親を送った翌日に何を思うのか。

十年後に何を思うのか。

自分が親と同じ年齢になったときに何を思うのか。

分からない。

親にも分からない。

子供本人にも分からない。

もちろん私にも分からない。

まだ起きていないからである。

観測できない。

だから、

「子供に迷惑をかけたくない」

という考えが間違っている、と私は言えない。

同時に、

それで全部考え終わったことにしていいのかも、私には分からない。

もしかすると、その優しい一言のところで、

自分は死んだあと、どうありたいのか。

残された人にとって、自分の死とは何なのか。

自分は親から何を受け取り、子供へ何を渡すのか。

そんな面倒くさい問いを、

考えなくても済むことだってあるかもしれない。

だから私は、

答えを出すより先に、

もう一回だけ掘ってみたい。

■散骨? いいじゃん。

ここで、

「だから墓を残しましょう」

という話にはならない。

散骨?

いいじゃん。

自然葬?

いいと思う。

古墳?

それもいい。

墓?

もちろん、それもいい。

どれを選んでもいい。

墓がなければ故人との縁が切れるとも思わない。

散骨したら供養できなくなるとも思わない。

墓があれば立派な供養になる、とも限らない。

形の優劣を競い始めたら、

結局また、

「死者をどう葬るか」

という同じ穴へ戻る。

今日、私が掘りたい穴はそこではない。

全部認めたうえで、

まだ残る問いである。

「で、先祖供養の先にあるものって、何だと思う?」

■なぜ供養するのだろう

先祖供養は大切。

分かった。

では、なぜ?

先祖に感謝するため。

なぜ感謝するのだろう。

自分がここにいるのは、ご先祖様がいたから。

なるほど。

では、それを知った私はどうするのだろう。

亡くなった人を思い出すため。

なぜ思い出すのだろう。

忘れないため。

なぜ忘れてはいけないのだろう。

私は、こういう面倒くさいことを延々と考えてきた。

墓を掘った。

供養を掘った。

浄土を掘った。

輪廻を掘った。

回向を掘った。

自他一如を掘った。

方便を掘った。

死者のことを考えていたはずなのに、

何度掘っても、なぜか同じところへ出る。

生きている自分。

だった。

先祖から自分へ。

親から自分へ。

自分から子へ。

過去から現在へ。

そして現在から、

まだ分からない明日へ。

死者へ向かって手を合わせていたはずなのに、

気がつけば、

「じゃあ、お前はどう生きるんだ?」

と、自分に返ってくる。

だから今のところ、私の中では、

先祖供養=自分供養

になっている。

なんだそれ。

自分でもそう思う(笑)。

でも、今のところここへ戻ってくる。

■ところが、人は忘れる

ここで問題がある。

人は忘れる。

昨日何を食ったか忘れる。

大事なことも忘れる。

親に言われた言葉も忘れる。

あれほど悲しかったことも、少しずつ日常の向こうへ行く。

だから昔から、

人は言葉を残した。

物語を残した。

祈りを残した。

儀礼を残した。

石を残した。

忘れるから、思い出すための何かを残した。

私はずっと、そんなふうに考えていた。

ところが今日、

変なところで止まった。

人間って、忘れなきゃ生きられないんじゃないか?

親のこと。

先祖のこと。

死のこと。

生のこと。

子供のこと。

過去のこと。

未来のこと。

自分がここにいるまでに繋がった、数え切れない縁のこと。

そんなものを朝から晩まで全部認識していたら、

仕事にならない。

飯も食えない。

テレビを見て笑う暇もない。

手羽先なんか食っている場合ではない。

タスクオーバーフローでフリーズする(笑)。

だから人は忘れる。

忘れて仕事へ行く。

忘れて飯を食う。

忘れてくだらないことで笑う。

忘れて腹を立てる。

忘れて寝る。

忘れることは欠陥ではなく、

もしかすると、

人間のデフォルトなのかもしれない。

■忘れていい

そう考えたら、

今まで何度も聞いてきた言葉が、少し違って見えた。

「ご先祖様を忘れてはいけません」

いや。

待てよ。

忘れていいんじゃないか?

だって、

切れないんだから。


親子の縁は、切っても切れない。

そんな言葉がある。

ならば、親が死んだら親子ではなくなるのだろうか。

十年間思い出さなかったら、親子ではなくなるのだろうか。

墓がなくなったら、親子ではなくなるのだろうか。

そんなわけはない。

忘れている時間にも、

親は親で、

子は子である。

完全に切れていないものなら、

四六時中そのつながりを確認している必要なんてない。

だったら、

切れないように供養するんじゃない。

切れていないことを、ときどき思い出すために供養する。

そんな見方があってもいいんじゃないか。

盆になった。

思い出した。

彼岸になった。

思い出した。

命日が来た。

思い出した。

道を歩いていて、ふと親の声を思い出した。

それでもいい。

手を合わせる。

懐かしくなる。

感謝する。

泣く。

笑う。

そして、

また忘れる。

忘れて日常へ戻る。

それでいい。

だって、

切れないんだから。

■お花畑満開感情論ポエム

ここまで掘ってきて、私は困った。

以前から散々茶化してきた、

「なんちゃって寄り添いお花畑満開感情論ポエム」

が必要になってしまったのである(笑)。

「ありがとう」

「ずっと忘れないよ」

「いつも見守っていてね」

「家族の絆」

「ご先祖様に感謝」

別に悪くなかった。

人間なんだから当たり前である。

親が死ねば悲しい。

思い出せば懐かしい。

ありがとうと言いたくなる。

理屈で全部片づくわけがない。

私が嫌だったのは、

感情ではなかった。

その下にある骨が見えなかったのである。

なぜ感謝するのか。

なぜ思い出すのか。

なぜ手を合わせるのか。

なぜ盆や彼岸があるのか。

そして、

それが今を生きている自分と、どう繋がっているのか。

そこを抜いたまま、

「ご先祖様に感謝しましょう」

だけを繰り返す。

だから薄く見えた。

ポエムが悪かったんじゃない。

ポエムしかなかったのが気持ち悪かった。

肉が悪いんじゃない。

骨がない。

…………。

また手羽先に戻ってしまった。

最近、何を考えても手羽先になる(笑)。

■先祖供養は、本当に薄れたのか?

「最近の若い人は先祖供養をしなくなった」

「供養する心が薄れている」

寺や石屋から、そんな話を聞くことがある。

でも私は、ここでも止まる。

何を観測して、そう判断したのだろう。

墓を建てる人が減った。

墓参りへ行く回数が減った。

墓じまいが増えた。

散骨が増えた。

それは見える。

数えられる。

数字にもできる。

でも、それは、

行動の観測値

である。

人の中にある、

親への思い。

先祖への感謝。

死者とのつながり。

それは数えられない。

墓参りに来なかった人は、今日一度も親を思い出さなかったのか。

墓を持たない人には、供養する心がないのか。

分からない。

なのに、

墓が減った。

墓参りが減った。

供養が減った。

先祖を思う心が薄れた。

と変換したら、

それは本当に観測なのだろうか。

観測できるものから、観測できないものを決めてしまってはいないだろうか。


数値は大切だと思う。

市場規模も大切。

人口動態も大切。

建立数も、墓じまい件数も、生産性も大切。

商売をしている以上、無視できない。

でも、

数値で見えるものだけを追いかけていると、

その数字を生んだ人間の中にあるものを、

見落とすことがある。

人は数字になる前に、

迷っている。

考えている。

忘れている。

思い出している。

そして時には、

自分でもなぜそうしたのか、

よく分からないまま選んでいる。

そこを掘るのに、

電卓はあまり役に立たない。

だから私は、

面倒くさい「なぜ?」を掘る。

■仮想敵を置いてみる

私は、自分の考えが正しいとは思っていない。

だから反対側に、

自分を壊しに来る相手を置く。

「墓なんて必要ないですよね?」

その通り。

「散骨でも供養できますよね?」

できると思う。

「自然に還りたいんです」

いいじゃない。

「子供に迷惑をかけたくないんです」

その気持ちも分かる。

ここで全部認める。

そのうえで、

一つだけ聞いてみる。

「で、先祖供養の先にあるものって、何だと思う?」

その人なりの答えが返ってきたら、

それでいい。

私と違ってもいい。

「ああ、そこまで考えて、その答えなんですね」

なら、もう何も言うことはない。

ところが、

「…………」

となったら。

顔には出さない。

私は大人であるww。

心の中では、

(止まった止まったwww)

(そこ掘ってなかったんかーいwww)

くらいは思うかもしれない。

仕方がない。

「人間だもの。」

    まこを


ただし、この問いは、

相手だけに向けたものではない。

そのまま私にも返ってくる。

「お前は、先祖供養の先に何があると思っているんだ?」

だから掘る。

答えらしきものが出たら、反対側から壊す。

残ったら、また疑う。

別の穴から掘る。

それでも残ったものを、とりあえず自分の引き出しへ入れる。

今のところ、

私の引き出しに残っている答えは、

今を生きている自分。

だった。

でも、

明日の自分が何を思うかは分からない。

明日にならなければ、

答え合わせができない。

だから――

行ってきます❗

…………。

なんで「行ってきます」なのか?

知らん(笑)。

最近なぜか、

最後はここへ戻ってくる。

そのうち分かるかもしれない。

分からないかもしれない。

まあいい。

明日になれば、

今日より何か一つくらい分かるかもしれない。

そして私は、

また大事なことを忘れる。

それもいい。

忘れていい。

だって、切れないんだから。


では、最後に。

あなたにとって、先祖供養の先にあるものって何ですか?

私の答えを、

あなたの答えにする必要はない。

自分で掘ってください。

私は先に、

行ってきます❗


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