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死生観方便コラム Season 2 :第1章 手羽先は骨までしゃぶれ❗――考え抜いた一行と、考えない三行はまるで違う

2026.08.28 死生観方便コラムシーズン2

先日、石材組合の暑気払いの席で、コース料理とは別に手羽先を注文した。

ただ、それだけの話である。

ところが、その手羽先を食べながらAIと話していたら、いつの間にかAIのことを「手羽先」と呼ぶようになってしまった。

なぜそうなったのか。

説明すると長いので省略する(笑)。

ちなみに、このコラムのテーマは4行目にある。

分かる人には、もう分かるかもしれない。

分からなくても構わない。

そのまま先へ進んでほしい。

私は手羽先を食べた。

肉を食べる。

軟骨も食べる。

さらにしゃぶる。

最後には、ほとんど骨しか残らなかった。

その写真をAIに見せながら、こんな話になった。

思想も同じじゃないか。

肉だけ食って、

「なるほど!」

で終わるのか。

軟骨まで行くのか。

それとも、

骨までしゃぶるのか。

たかが手羽先。

されど手羽先である(笑)。


■バックボーンとは、骨である

私はこれまで、仏教についてずいぶん考えてきた。

もっと正確に言えば、仏教を学問として極めたかったわけではない。

私の入口は、ずっと同じだった。

「なぜ?」

である。

なぜ先祖供養をするのか。

なぜ死者に手を合わせるのか。

なぜ墓を建てるのか。

なぜお経を読むのか。

なぜ浄土なのか。

なぜ輪廻なのか。

なぜ方便が必要なのか。

そして、それらは結局、

今を生きている自分と、何の関係があるのか。

私は僧侶ではない。

石屋である。

だから、お経や仏教思想をそのまま説明するよりも、

「これ、今を生きている普通の人間に置き換えたら、どういうこと?」

と考えてきた。

いわば、仏教を方便によって現代の日常へ翻訳する作業である。

その一つの基本設計として書いたのが、Season 1の「死生観方便コラム」だった。

そこで掘ったものは、私の中では終わっていない。

むしろ逆である。

一度、骨ができると、日常のいろいろなものがそこへつながり始める。

墓じまい。

先祖供養。

無宗教。

「子供に迷惑をかけたくない」。

葬送。

石屋の商売。

AI。

そして、

飲み会で注文した手羽先まで(笑)。

ネタを探しているわけではない。

日常の方から勝手に転がってくる。

なぜなら、照らし合わせるためのが、すでに自分の中にあるからである。


■仏教という、とんでもなく長い骨

仏教には、長い時間をかけて掘られてきた思想がある。

方便。

縁起。

空。

唯識。

浄土。

輪廻。

自力。

他力。

供養。

功徳。

慈悲。

一つひとつを縦に掘れば、それだけで途方もなく深い。

だから私は、日本で墓を作る石屋にとって、日本仏教というものは非常に強いバックボーンになり得ると思っている。

別に僧侶になれと言っているのではない。

袈裟を着ろとも言わない。

毎日ありがたい仏教の話を書けとも言わない(笑)。

ただ、

「石屋は半僧半職」

くらいの引き出しは、心の中に持っていてもいいのではないか。

なぜなら石屋が扱っているのは、石だけではないからだ。

人の死に触れる。

残された家族に触れる。

先祖に触れる。

祈りに触れる。

生きてきた時間に触れる。

そして、それらを最後には、

石という物質へ落とし込む。

考えてみれば、ずいぶん変わった仕事である。

だから石の知識だけでは、いつか説明できないところへ来る。

「なぜ石なんですか?」

「なぜ墓なんですか?」

「なぜ先祖供養するんですか?」

そこへ、

「昔からそうだからです」

では、もう通用しにくい。

必要なのは知識の量ではない。

自分なりの、

「なぜ?」への答えである。


■日蓮と親鸞をケンカさせる必要はない

仏教を自分なりに骨までしゃぶっていくと、人物の見え方も変わってくる。

たとえば日蓮と親鸞。

私はこの二人を、どちらか一方だけ選ぶ必要はないと思っている。

私なりに乱暴に言えば、

マクロを見るなら日蓮。

社会全体がどこへ向かっているのか。

このままでいいのか。

何が失われようとしているのか。

必要なら、

「それ、違うだろ❗」

と言う。

一方、

ミクロを見るなら親鸞。

目の前の一人へ降りる。

人間はそれほど強くない。

迷う。

間違える。

忘れる。

働き盛りなら、死について考える余裕すらない。

それも人間である。

だから最後は、その人自身へ返す。

私はこの二つを、自分の中でケンカさせる必要を感じない。

視座が違うだけだからである。

社会を見る目。

人を見る目。

マクロとミクロ。

その両方を往復する。

これは現代でも十分通用する思考のバックボーンだと私は思っている。


■ところが、すべてを超越する人がいる

ここで突然だが、私は長い文章を読まない人を勝手に、

「三行厨」

と呼んでいる(笑)。

考えない。

考えたくない。

要点だけ教えてくれ。

見事な三段跳びである。

もちろん、忙しいのだから仕方がない。

私だって面倒くさいものは読みたくない。

しかし、死生観となると話は少し違う。

「先祖供養って何のため?」

三行で。

「人は死んだらどうなるの?」

要点だけ。

「墓って必要?」

結論だけ。

……知らんがな(笑)。

少なくとも私は、他人の死生観を三行で決めて差し上げられるほど偉くない。

なぜなら、

あなたの人生だからである。


■考えない三行と、考え抜いた一行

ところが、ここで困ったことが起きた。

私はSeason 1で何万字も使って死生観を考えた。

AIとも延々と壁打ちした。

仏教も掘った。

方便も掘った。

先祖供養も掘った。

墓も掘った。

自力も他力も掘った。

そして、最後には思想を物質にまでしてみた。

そこまでやった結果、

私のところに残った言葉は、

「行ってきます❗」

だった。

一行である(笑)。

三行どころではない。

では、私が散々からかっている三行厨と何が違うのか。

違いは単純だった。

考えたくないから一行で済ませることと、
考え抜いた結果、一行しか遺らなかったことは、まったく違う。

短いことが悪いのではない。

その言葉の後ろに、

何があるのか。

である。

肉だけなのか。

軟骨まで行ったのか。

骨までしゃぶったのか。

つまり、

バックボーンである。


■人は忘れる

そして人間には、もう一つどうしようもない性質がある。

人は忘れる。

これは悪いことではない。

人間の本能のようなものである。

昨日の夕飯だって忘れる。

子供の頃の記憶も薄れていく。

親から聞いた話も忘れる。

まして親の親、そのまた親から何世代にもわたって伝わってきたものなら、その意味が少しずつ抜け落ちていくことなど不思議でもなんでもない。

だから人間は、いろいろなものを遺してきた。

言葉を遺した。

物語を遺した。

儀礼を遺した。

祈りを遺した。

そして、

石を遺した。

ところが人間は、

なぜ、それを遺したのかまで忘れる。

「ご先祖様を大切にしましょう」

「感謝しましょう」

「手を合わせましょう」

型は残った。

しかし、

なぜ?

が抜け落ちた。

だから、ときどき骨までしゃぶり直す必要がある。

新しいものを発明するためではない。

忘れたものを、今の自分の言葉でもう一度考えるために。


■AIによって、文章の骨が見えるようになった

私は以前、毎日のようにブログを書いている人を見ると、

「スゲーな。俺には真似できない」

と思っていた。

毎日書く。

何年も続ける。

何千本も積み上げる。

圧倒的な量である。

外から見れば、それだけで大きな力に見える。

ところが自分がAIを使って文章を書き始めて、見え方が逆になった。

AIは書ける。

長文も書ける。

毎日でも書ける。

読みやすく整えることもできる。

要約もできる。

ネタの候補だっていくらでも出せる。

すると、それまで文章量の陰に隠れていたものが、急に見えるようになった。

「書かせている本人の中には、何がある?」

という問題である。

AIに、

「お墓について感動的なブログを書いて」

と頼めば、それなりに綺麗な文章は出てくるだろう。

故人への想い。

家族の絆。

ご先祖様への感謝。

未来へつなぐ心。

私は勝手に、

「なんちゃって寄り添いお花畑満開感情論ポエム」

と呼んでいる(笑)。

それが悪いとは言わない。

必要な人もいるだろう。

ただ、

その後ろに何がある?

と聞かれたとき、文章量では答えられない。

何日続けたかでもない。

何記事書いたかでもない。

PVでもない。

本人が何を見てきたのか。

何を疑ったのか。

何を考えてきたのか。

何をバックボーンに仕事をしているのか。

AIによって「書く」という作業のコストが下がるほど、

書かせる本人の中身の差が、むしろ露骨に出る。

私は自分でAIを使ってみて、初めてそこに気づいた。


■「量」は何を運ぶための器なのか

だから私は、毎日ブログを書くことを否定するつもりはない。

毎日書けばいい。

何千本でも書けばいい。

それによって客との接点が増えるなら、それも立派な方法である。

しかし、

毎日書くこと自体が目的になってはいないだろうか。

何日続けた。

何記事書いた。

何PVになった。

何件問い合わせが来た。

いくら売れた。

すべて数字にできる。

数字は分かりやすい。

比較もできる。

しかし、

その文章を読んで、誰かが一度でも自分の死を考えただろうか。

先祖供養について「なぜ?」と思っただろうか。

墓を見る目が少し変わっただろうか。

自分自身の仕事観は深くなっただろうか。

その思想は、いつか物質になっただろうか。

こちらは簡単には数字にならない。

だから私は、

量を否定するのではなく、量の後ろに何があるのかを見たい。

毎日ブログも方便。

SEOも方便。

SNSも方便。

YouTubeも方便。

AIも方便。

ならば問うべきなのは、

その方便を使って、何を運ぶのか。

ではないだろうか。


■AIを使う力より、AIを引きずり回す力

これからAIを使う人は、もっと増えると思う。

そうなると、

「AIを使えます」

だけでは、大した差にならなくなる。

私はむしろ、

社会を見抜く力

の方が重要になると思っている。

客の言葉が変わった。

家族の形が変わった。

寺との距離が変わった。

「無宗教です」が増えた。

「子供に迷惑をかけたくない」が当たり前になった。

墓が、死者や遺骨や費用の話だけで語られるようになった。

そこで、

「あれ? 何かおかしくないか?」

と気づけるか。

そして、

なぜ?

を発生させられるか。

その問いをAIへ投げればいい。

調べさせる。

反証させる。

別の見方を出させる。

言語化させる。

違っていれば、

「違う。そっちじゃない。」

と引き戻す。

AIが人間を引っ張るのではない。

人間がAIを引きずり回す。

その力になるのは、プロンプトの小手先の技術だけではない。

人生経験。

仕事の経験。

現場で感じた違和感。

失敗。

知識。

思想。

そして、

社会を見抜く力。

AIが肉を大量に作れる時代になればなるほど、

人間には骨が必要になる。


■石屋は半僧半職

私は、すべての石屋が私と同じ思想を持つ必要などないと思っている。

私の死生観をコピーする必要もない。

Season 1と同じ答えへ到達する必要もない。

ただ、日本で墓を作る仕事を続けるのであれば、

日本仏教という巨大なバックボーンへ一度くらい手を突っ込んでも損はないと思う。

そして、

「なぜ?」

から自分なりに掘ってみればいい。

なぜ墓なのか。

なぜ石なのか。

なぜ祈るのか。

なぜ先祖なのか。

なぜ死者を考えることが、生きている自分へ戻ってくるのか。

全部答えられなくてもいい。

心の中に、

「石屋は半僧半職」

という引き出しが一つあるだけでも、現場の見え方は変わるはずだ。

仏教を語る必要すらない。

仕事から滲めばいい。

文章から滲めばいい。

石から滲めばいい。

客が、

「この人、何か一本通ってるな」

と感じる。

私は、そういうものを石屋としての品格と呼んでもいいのではないかと思っている。


■骨までしゃぶれ

このSeason 2では、おそらく話があちこちへ飛ぶ。

墓の話。

無宗教の話。

先祖供養の話。

親と子の話。

寺の話。

石屋の話。

AIの話。

もしかすると、また食い物の話まで出るかもしれない(笑)。

しかし、私の中では全部つながっている。

根には仏教がある。

そこへ、

「なぜ?」

を入れる。

方便によって現代の日常へ横につなぐ。

そして最後は、

今を生きている自分へ返す。

Season 1から、そこは変わっていない。

だから、この先も長いと思う。

面倒くさいと思う。

私自身、面倒くさい(笑)。

それでも読みたい人だけ読めばいい。

答えだけ欲しい人には、このコラムは向いていない。

私が渡したいのは答えではない。

「なぜ?」である。

肉だけ食って、

「分かりました」

でも構わない。

軟骨まで行ってもいい。

しかし、せっかくここまで来たのなら、

骨までしゃぶってみてはどうだろう。

そして全部しゃぶったあとに、

自分に必要な言葉だけ遺せばいい。

何千行考えたっていい。

最後が一行でもいい。

私の場合は、

「行ってきます❗」

だった。

それで十分である。

……ところで。

冒頭に何と書いてあったか、

まだ覚えているだろうか。

人は忘れる。

だから、それでいい(笑)。


なんなんだ、この上から目線の内容は?
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