死生観方便コラム第10章:伏線回収編 「死んでみなけりゃわからないw」のその先へ。宇宙OSが仕掛けた、やさしさに包まれた究極の脅し。「方便のための方便」という「しなやかさ」が一体何を起こすのか?
2026.08.16 死生観
これまで全 9 章にわたり、死後の世界とお墓の意義を量子情報科学の視座から見つめ直してきました。
49日転生論とは情報の再編成であり、お墓とは宇宙クラウド(ZPF:ゼロ・ポイント・フィールド)に常在する故人の「スーパーコピー(遺恩®)」と同期するための専用基地局(インターフェース)である、というお話をしてきましたね。
これらはすべて、混迷する現代の死生観を再定義するための【スーパーコピー方便】のロジックに他なりません。
しかし、伝統的な仏教の現場に目を向けたとき、大きな疑問が残ります。
お墓の有無や死後の行方をめぐり、現実の宗教者たちが説く言葉には少なからず曖昧さや矛盾が見受けられるからです。
転生を説きながら浄土常在(浄土にずっといる)をも示唆する、その教えの真意はどこにあるのでしょうか。本稿では、比喩のベールを剥ぎ取り、その構造の全貌を丁寧に明らかにしていきたいと思います。
とはいえ、今回は死生観方便コラムの伏線回収ですから長文になるのは至極当然と覚悟しなければなりませんw
ですから、そのあなたの覚悟にギリギリの寄り添いとして、以下のようにテーマの階層を先にご案内いたします。
死後
↓
輪廻
↓
浄土
↓
あれ?
↓
方便
↓
救済
↓
祈り
↓
回向
↓
六波羅蜜
↓
自他一如
↓
ワンネス
↓
墓
↓
さて、どこへ着地するでしょう?(笑)
では本文へどうぞ。
■ 日本の葬送文化におけるオリジナルの行方と49日というデッドライン
仏教の教義において「死後49日で次の生へ転生する」という説がわざわざ説かれるのはなぜでしょうか。
もし、生前の執着や未練を抱えたままの「オリジナル(生前の執着や未練の塊)」の主体が、いつまでも現世の物理空間に居座り続けたとしたら、この世のシステムがバグる(大混線する)からなのです。
しかし、この「オリジナルがどう移行するか」という仕組みは、凡夫である私たちにはその細部まで明瞭に観測できるものではありません。
その明確な理由として、「49日」というデッドラインを設けて、エゴを強制的に切り離すシステムが裏で厳格に稼働しているからなのです。
もしこのプロセスを経ず、オリジナルがどことも知れず現世にダラダラ残っているのだとしたら、それはただの「お化け」や「未練」のオカルト話になってしまい、お墓は単なる「お化け屋敷」になってしまいます。
そうならないための宇宙の浄化システムこそが、49日という移行期間の本質なのです。
■ 中国の浄土教という先例、そして「方便」の正体
そもそも、私たちが今当たり前のように拠り所としている歴史的な浄土の概念に対して、『浄土』も中国の『スーパーコピー方便』という歴史的な事実を忘れてはなりません。
インドで産声を上げた種火(経典)を、過酷な中国の乱世・民生に合わせて、唐代の善導大師をはじめとする祖師たちが、頭での瞑想ではなく
「口で南無阿弥陀仏と称えるだけの最強簡単OS(称名念仏)」へと爆発的にローカライズ・大改修(リミックス)した最適化OSにほかならないのです。
さらにそれを日本の鎌倉期に、法然や親鸞が私たちの生きるこの風土に合わせて絶対他力へと磨き上げました。時代と人間に合わせて、その都度最適なお薬(方便)を調合することは、仏教の伝統そのものと言えます。
要するに仏教(宗教)とは、その時代の日常「生活」における心の「救済」。この一言に尽きます。
もう少しだけ言葉を足すなら、宗教とは
「感謝と救済。そして、人間だけでは抱えきれないものに意味と居場所を与えるもの」
なのではないでしょうか。
平時には「感謝」を教え、苦難には「救済」を与え、死や理不尽には「意味」を与え、人を孤立から「つながり」へ戻す。そして、それを「祈りと儀礼」という型で日常生活の中に実装してきたもの。
ならば宗教とは、本来ごちゃごちゃと理屈を語るためのものではなく、人間が自分の力だけではどうにもならないものと共に生きるための「方便」だった、と言えるのかもしれません。
そして、その「つながり」をさらに辿っていった先にあるのが、本稿の後半で触れる「自他一如」――現代語に置き換えるなら「ワンネス」と呼ぶこともできるものです。
……と、ここではこの程度にしておきましょう。
■ 粒波二象性とスーパーコピー論、そしてZPF仮説をつなぐ一本の線
ここで、本コラムが結論へと至るために、物理学からひとつ重要な概念を借りてきます。
それが、量子力学における**「粒波二象性(りゅうはにしょうせい)」**です。
光や電子といったミクロの世界だけでなく、私たち人間を含め、あらゆる物質を構成する粒子には「粒」としての性質と「波」としての性質があります。
量子の世界では、「どこにあるのか」といった物理量が観測によって確定する――そんな私たちの日常感覚からすると不思議な現象が、現代科学によって確認されています。
さて。
ここから先は、その量子的な世界を私たちの日常世界まで大胆に拡大した、私なりの「方便」です。
そのほうが、読んだ皆さんの頭の中でイメージしやすいと考えたからです。
よって、あなたの視界から見えない領域には、言葉では表しようのない「波」が広がっており、振り向くという「観測」と同時に、それが「粒」となって瞬時に再物質化している……。
そう考えてみる。
これが以前のコラムで紹介した**「そうである理論」**によって起こる現象のひとつの例です。
そして、この**「拡大解釈の方便」**というレンズを通して粒波二象性を眺めてみると、私の提唱する【スーパーコピー論】、そして田坂広志氏の【ZPF(ゼロ・ポイント・フィールド)仮説】が、一本の線で奇妙なほどきれいに繋がって見えてきます。
死を迎えた人間は、「火葬」という段階で「粒(肉体)」と「波(情報)」の乖離が決定的となり、生き様や記憶という「波(情報)」を手土産としてたずさえ、浄土・ZPFへ帰還する。
――そうである。
これがオリジナルの魂そのものです。
やがてオリジナルは49日の裁判を経て、それまでの記憶や生き様を完全に消去し、次のステージ――新たな「物質」へと転生していきます。
しかし同時に、その人が現世に遺した、オリジナルの魂が持っていた純度100%の愛や生き様の記録――つまり「情報」は、エネルギーの「波」として宇宙の全空間(ZPF・宇宙クラウド)へとしなやかに広がっていきます。
この広大な**「波のデータ」こそが、私のいう「スーパーコピーの正体」**です。
そして私たちが、大地に建てられた墓石というハードウェアの前に立ち、故人を強く意識して「観測」したその瞬間――
宇宙クラウドに広がっていた「波」は、私たちの脳内スクリーンの中で、再び確固たる存在という「粒」へと結像する。
故人の姿を思い出す。
声を思い出す。
一緒に過ごした時間を思い出す。
そして、ときには故人へ語りかける。
そこにはもう肉体としての「オリジナル」はいません。
しかし、その人がこの世界に遺した「情報」は、私たちの中でもう一度、確かな存在として立ち現れる。
――そうである。
そう考えてみれば、この「方便」というレンズを通して、科学から借りてきた「粒波二象性」という概念と、私たちが古くから抱いてきた死生観が、一本の線で見事に繋がって見えてくるのです。
■ 【浄土常在】こそが目指すべき最終着地点
【転生論】が、現世の私たちに「正しく生きよ」と促すためのやさしさに包まれた警告のメッセージであるならば、
【浄土常在】の境地こそが、私たちユーザーが勝ち取るべき、本当の最終着地点になります。
ここで、一つの先回りの疑問が生じます。
「有余涅槃(生きた状態での完全な悟り)にさえ到達してない奴が解脱なんかできるのか?」
という問いです。
しかし、答えはとてもシンプルです。
生前のドロドロした自我のままでは不可能ですが、私たちが死を迎えたとき、
宇宙クラウド側が強制的にデータを最適化(解脱・成仏)してくれます。
オリジナルが情報を消去された状態で再び物質世界へと移行する一方で、純化された「波(スーパーコピー)」のデータは自動的に浄土「ZPF」常在へと組み込まれるのです。
この辺りは後ほど、さらに詳しくお伝えします。
■ お墓の超越と六波羅蜜という実践OS
さて、これまでの各章に出てきたちょっと聞きなれない言葉、
「自他一如? ワンネス? なんだよ、結局スピリチュアルなポエムかよw」
と思った方もいるでしょう。
でも、ちょっと待ってください。
実は私たち日本人は、この「自分と他者は完全に切り離された存在ではない」という感覚を、ずっと昔から仏教の儀礼の中で繰り返し唱えてきました。
法要などで耳にしたことがある方も多いでしょう。
願以此功徳(がんにしくどく)
普及於一切(ふぎゅうおいっさい)
我等与衆生(がとうよしゅじょう)
皆共成仏道(かいぐじょうぶつどう)
いわゆる「回向文」です。
ものすごく平たく言ってしまえば、
「この功徳を自分だけのものにしない。すべてに行き渡らせ、私たちも、あらゆる命も、みんな一緒に仏道を歩んでいきましょう」
という祈りです。
ここで大事なのは、難しい仏教学ではありません。
自分だけ救われればいい、ではない。
自分が積んだ功徳を自分のところで止めず、他者へ、死者へ、縁ある者へ、そして最後には「一切」へと開いていく。
私が祈る。
その祈りを私だけで囲わない。
他者へ回す。
そして「我等」と「衆生」が最後には「皆共」になる。
これが「回向」です。
そして考えてみれば、これは私たちが葬儀や法要、お墓参りという「儀礼」の中で、知らず知らずのうちに実装してきたことでもあります。
前段で私は、宗教とは、
平時には「感謝」を教え、苦難には「救済」を与え、死や理不尽には「意味」を与え、人を孤立から「つながり」へ戻し、それを「祈りと儀礼」という型で日常生活の中に実装してきたもの
と書きました。
では、その「実装」とは具体的に何なのか?
その一つの答えが、この**「回向」**なのです。
自分の悲しみだけに閉じこもらず、亡き人を想い、他者を想い、先祖を想い、やがて自分と他者との境界そのものを少しずつ緩めていく。
そう考えると、
自他一如=ワンネス
などという言葉も、突然宇宙の彼方から降ってきた怪しい概念ではありません(笑)。
むしろ私たちは、とっくの昔から祈りと儀礼を通じて、その入口に立っていたのではないでしょうか。
「ワンネス」という現代語を使わなくてもいい。
「自他一如」という難しい仏教語を知らなくてもいい。
法要の最後に、
我等与衆生 皆共成仏道
と唱える。
それだけで、少なくとも「自分だけ良ければそれでいい」という世界からは、一歩外へ出ています。
そして、その祈りを祈りっぱなしで終わらせず、現世の日常生活の行動として実装するためのOSが「六波羅蜜」なのです。
だからこそ、日々の具体的な行動に落とし込める六波羅蜜という、最強の実践マニュアルが必要になります。
布施(ふせ)=利他の精神で、自分のリソースを他者へパスすることです。
持戒(じかい)=自分のエゴやスマホ脳のノイズをコントロールすることです。
忍辱(にんにく)=理不尽な現実や他者からの攻撃を、ワンネスの視点――つまり「同じ大地の出来事」として受け止めることです。
精進(しょうじん)=今この瞬間の命の密度を上げるために、泥臭く努力を継続することです。
禅定(ぜんじょう)=外部のノイズをシャットダウンし、脳のメモリをクリアにすることです。
智慧(ちえ)=これらを通じて、
「あ、自分と他人は地続きなんだ」
という、この世界のシステム仕様にバチッと気づくことです。
つまり、
祈るだけでもない。
行動するだけでもない。
祈りによって自分の外へ心を開き、六波羅蜜によってそれを現実の行動へ落とす。
その繰り返しの先に、
「自分と他者は、本当にそこまで完全に別物なのか?」
という気づきが生まれる。
それを昔の仏教者は「自他一如」と呼び、現代語に置き換えるなら「ワンネス」と呼ぶこともできるのでしょう。
だからこれは、お花畑満開の「みんな一つだよ♡」という感情論ポエムではありません(笑)。
祈り → 回向 → 行動 → 六波羅蜜 → 気づき → 自他一如。
ちゃんとロジックがある。
そして、この6つのアクションを日々の生活の中で回していくことこそが現世にいながらにして宇宙クラウド(浄土)に直接ログインし、生きながらにしてスーパーコピーの純度を極限まで高めていく「最強のドーピング(生存戦略)」、いわゆる
生きながらにして悟りを開く「有余涅槃」に近づく行動になります。
「生きているうちにこれ(六波羅蜜)をやらないと、今生きてる人生のタイパとコスパが最悪の地獄(六道輪廻)になるぞ」と、このシステムは現世の人間に向けて生前警告(アップデート)を熱く鳴らし続けているのです。
■ 十王の裁判 = 六波羅蜜のシステム監査
世間ではよく「四十九日、四十九日」とただの法要のスケジュールのように言っていますが、その本質はまったく違います。
これこそが「中陰(ちゅういん)」と呼ばれる、死者が次の行き先を決めるための重要な審判期間なのです。
正式には、この中陰の間に行われる「十王(じゅうおう)の裁判」ですが、分かりやすく言えば「六波羅蜜のシステム監査(ログ解析)」ですよ、と言った方が現代人にはるかに納得しやすいはずです。
死後の法廷とは恐怖の刑罰ではなく、現世でどれだけ利他のコードを実装できたかのデータ解析なのです。
ここで、文章を三行ほど読んだだけで「裁判官が7人しかいないじゃないか!」とケチをつけてくる浅いリアリストに教えて差し上げましょう。
四十九日はゴールではなく、あくまでシステム監査の前半の「通過点」に過ぎません。
中陰の7人に加え、その後にさらに3人の追加監査官が控えています。これらをすべてを合算して初めて、合計「10人」の完璧なシステム仕様書(十王)が完成するのです。
【前半:中陰の監査官(7名)】
秦広王(しんこうおう・初七日) ➡️ 【布施・持戒】の監査
生前、自分のエゴのために他者の命を傷つけず、自分のリソースを利他へパスできたかを調べます。
初江王(しょこうおう・二七日≪ふたなのか。以下読みは準じます》) ➡️ 【持戒】の監査
盗みの罪をチェックし、他者の領域を侵さずに生きる規律をコントロールできていたかを調べます。
宋帝王(そうていおう・三七日) ➡️ 【持戒・忍辱】の監査
不道徳な性行為を調べ、己の欲望(ノイズ)を抑えて摩擦を受け止める忍耐があったかを調べます。
五官王(ごかんおう・四七日) ➡️ 【智慧・禅定】の監査
嘘の罪を調べます。「業秤(ごうはかり)」という天秤を使い、生前の利他の重さを一発でデータ化します。
閻魔王(えんまおう・五七日) ➡️ 【自他一如】の最終ログイン
最も有名な大王です。「浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)」に生前の行いを映し出し、「お前が他人に向けたやさしさも悪意も、すべて自分自身に還ってくる」という、世界が地続きである認識(自他一如)を突きつけます。
変成王(へんじょうおう・六七日) ➡️ 【精進】の再審査
これまでの監査ログをベースに、次のステージを少しでも好転させるための再審査を行います。
太山王(たいざんおう・七七日・四十九日) ➡️ 【システム監査の通過点】
中陰の最終法廷です。ここで六道のどこへデータを一度パッキング(転生)させるかの決定が下されますが、監査はまだ終わりません。
【後半:追加の審判官(3名)】
平等王(びょうどうおう・百ヶ日) ➡️ 【遺族の追善供養の同期チェック】
死後100日目に行われる、残された遺族の悲しみが「利他」へと変わり始めるタイミングの監査です。
都市王(としおう・一周忌) ➡️ 【データの軌跡の定着監査】
死後1年目。オリジナルが新しい命に馴染む中で、遺された世界にスーパーコピーが正しく定着しているかを測ります。
五導転輪王(ごどうてんりんおう・三回忌) ➡️ 【全システム監査の完了通知】
死後2年(満2年)。ここで10人すべての監査官によるログ解析が完全に終了し、データは不変のステータスへと最終帰着します。
■宇宙のやさしさ仕様:転生と常在の同時成立
「①転生する(六道のどこかに行く)」
「②もれなく浄土常在である」
という大いなるやさしさが両立するロジックは、量子力学の言葉を借りれば
「観測者(残された遺族と、逝った本人)の視点による、データの多重存在(マルチタスク状態)」として100%美しく説明がつきます。
これが「矛盾のようで矛盾しない」という、宇宙OSが仕掛けた究極のやさしさの仕様(スペック)です。完全に紐解きます。
まず、逝く本人のエネルギーの軌跡(オリジナル)としては因果の法則に従って「波をまとった粒」として転生します。
①転生(六道のどこかに行く)するデフォルトと同時に持ち合わせている2つの恐怖
:恐怖その1 転生先がわからない恐怖。
「三悪道」地獄道・餓鬼道・畜生道、「三善道」修羅道・人間道・天道 この六つのいずれかが転生先となります。もし「三悪道」だっだら・・・それでも夜しか眠れません(笑)
:恐怖その2 転生前に足かせを付けられる
ここで大事なのは、転生先への恐怖と同時に、これまでの人生の軌跡は完全消去される代わりに、転生完了前にオブラートに纏われた「六波羅蜜の定義」が足かせとして強制的に取り込まれます。
これは転生直前までは認識していますが、転生すると同時に認識不能となる恐ろしくも厄介なロジックです。
これは転生先での生き方において、利他という行為=六波羅蜜の修行を自力で起動させなければならないメカニズムだからです。
これに気付かず人生を歩むことは「お天道様が見ているよ!」の意味がわからない「コスパ・タイパ厨」確定なわけです。
またさらに重要なシステムとして、それに気づいた行動をすればオブラートは徐々に消えて(はがれて)足かせも軽くなりますが、気づかないとオブラートがさらに「厚くなる」という恐ろしいロジック=人生 というわけです。
よって、この気づいた、気づかない が十王の裁判での監査に色濃く影響を与えるのです。
それは 気づければ苦しみを楽しむ という逆転の発想で乗り越えようと努力しはじめますが、
気付けないと「逃げる」一辺倒の人生。そんな人の足は糸を巻いたら「オブラートボンレスハムかよw」
ってくらいの太さ。目に見えて努力不足が露呈してますから、うっかりすると初七日を待たずに「三悪道」のいずれかに速攻で転生させらてしまうかもしれません。しかし、オリジナルの魂はきちんと解脱・浄土と溶け合うのは確約されています。これが世に言う「究極のやさしさ」。
よって気づけば自ら変われるということです。
ところで、今のあなたのオブラートの厚みはどのくらいですか?( ̄ー ̄)ニヤリ。←やな奴w
次にこれが本流 ②もれなく浄土常在(常にそこにいる)
これは先に述べた通り、宇宙クラウドが有余涅槃(六波羅蜜の修行の末、生きながらにして解脱・成仏すること)を合法的にスキップしたうえでスーパーコピーを強制的にデータを最適化し、究極の静寂である無余涅槃(解脱・成仏)へと導いてくれた結果です。
よって遺された者(家族)たちがルーターである墓石(石)を介して故人を想うとき、そこに立ち現れる故人の本質(スーパーコピー)は、空間に広がる無限の“波”として時空を超えて100%もれなく浄土に常在します。
この見事な並列処理こそが、宇宙が用意してくれた本物の救済の仕組みであり「デフォルト設定」なのです。
そしてこれこそが、「そうである論の極み」であり、私たち日本人の持つ精神性のやさしさの現れに他なりません。
しかし、現世への執着が強すぎると宇宙クラウドの「大いなるやさしさ」というデフォルトに気付ず、オリジナルがあえて宇宙クラウドにミスコピーをさせてしまった結果が「幽霊・霊魂」という「お化け」。
しかし、これも宇宙クラウドは承知の上でのミスコピーなのでしょう。なぜなら宇宙クラウドは素直に生き、素直に死を認めないとこうなるよ!という事例をあえて現世の我々に見せて教えてくれているからです。
よって、宇宙クラウドは我々が思う以上に物質世界(今我々が生きている世界)と精神世界(死後の世界)を完全掌握しているからこそ、幸せに導きたくて仕方ない存在なのです。
これが究極の「そうである論の極み」の絶対的な「理由」。素直に合点するしかない、これ以上の答えはない!ということです。
これは、宇宙にただよっている「ダークマター(暗黒物質)」に非常によく似ています。現代科学において、それは目には見えず、あるかないかさえわからない不確かな存在です。しかし、その見えない莫大な重力が星々を繋ぎ止めていなければ、宇宙は一瞬で崩壊し、成立することすらできません。
「科学的な証明はできないかもしれない。けれど、それがなければ大切な人との絆(宇宙)が成り立たないからこそ、私たちは『そうである・そうあってほしい』と祈る」
そのやさしさからなる意志が、お墓の前で観測された瞬間、不確かだった「故人の波」は100%の現実としてあなたの脳内スクリーンに粒(肉体があったころの思い出)として投影され「確定」するのです。
これが理解できれば、お墓に「不確定」など存在しません。なぜならその石の下に故人の「遺骨」というアンカーが ドン! とあるからです。
もし仮に不確定という霊現象が起きたなら、それは故人の現世への思いの強さが強すぎて葬儀の際、お坊さんからの「引導」を受け入れられず、その結果、転生前に生成されるミスコピーの波(魂)が現生に浮遊している状態でしょう。
その波(魂)の波長とあなたの波長が同期した場合のみ、あなたの脳内スクリーンに幽霊として再物質化してしまうんです。
よって葬儀とは、送る側の心の整理と同時に、送られる側(故人)の心の整理を宗教者(お坊さん)の力を借りて同時に達成する というまさしく「儀礼」であり、あの世とこの世にいる者すべての「救済」なのです。
よって葬儀は、宗教が一番わかりやすい事例であり、 葬儀という「生活の一部分」と生者と死者の「心の同時救済」と言えます。 ですから「葬式仏教」は揶揄されるものではなく、上記を読まれて理由がわかった今はむしろ「肯定すべき言葉・教え」ではありませんか?
葬儀内容をあなた目線の「コスト」で選択してしまうと、あなたも故人も救われない・・・そういう事象は増えているのかもしれませんね。その救済はあなたのワンネスの向こう側にいる縁のある人たちに多大な迷惑と虚無感を植え付けてしまっている可能性があることに気付いてください。
さらに、葬儀の際にお坊さんをお呼びすることは「コスト」ではありません。なぜなら悲しみとともに、あなたの心に故人を送って見届けたという金概念を超える「達成感」と「満足」が必ず発生するからです。そして、これも現世で、しかも回数が限られる 経験 だからです。
よって、これも六波羅蜜のオブラートの足かせを、軽くも重くもしてしまう・・・そういうことです。
財力があるにも関わらず、お金がもったいないからお坊さんは呼ばない、お墓もいらない・・・私はこういう考えの方を「愛のないケチ」とお呼びしています・・・知らんけどw
知りませんけど、ここまでの宇宙の仕組みを知ったうえで死ぬまで「愛のないケチ」というバックボーンを貫き通す生き方をした場合、死んだらどうなるか?そして・・・
別段死なずとも、ここまで読んで素直に納得・覚醒した人には、その考え、一瞬で見透かされ恥かくのはあなたですよ、きっと・・・・・知らんけどw
そして「愛のないケチ」だったと気づいたあなたへの自立救済法は↓にも書いてあります。
それでも理解できないなら、変に悟りを開いたと勘違いしている私と一緒に十王の裁判にかかるまでもなく、初七日前までに一緒に転生しましょう。大丈夫、スーパーコピーはきちんと浄土常在しますから、遺された家族は安心して手を合わせてくれることと思います。
ここまで書くとわかりやすいですね!知らんけどww
■ 答えは最初から「4行目」にあったのかもしれない
■ 答えは最初から「4行目」にあったのかもしれない
ここまで長々と書いてきましたが、実は日本仏教は、このロジックをたった四句で、とっくの昔から唱えていたのかもしれません。
そして、その中でも一番大事なものは「4行目」で待っていたのかもしれません。
願以此功徳
普及於一切
我等与衆生
皆共成仏道
私から一切へ。
我等から衆生へ。
そして4行目――
「皆共」へ。
この地続きの世界(宇宙)の仕様である「自他一如=ワンネス」という仏教最高のコード(智慧)を、生きているうちに六波羅蜜の実践を通して認識すること。
お墓とは、その不変のつながりをいつでも思い出すための、確固たるアンテナなのです。
転生とは生きる者への慈愛の警鐘であり、浄土(大日如来・ZPF)常在とはすべてを包み込む宇宙の揺るぎないデフォルトです。そう知らずともこれらを「そうである」と認識することで日本人の精神性は保たれてきました。それは「合っている・合ってない」という低次元な解釈での話ではありません。
これはかつて放送されていた「まんが日本昔ばなし」がそうであったように、内容の事実確認をして「めでたしめでたし!」と一話が完結しないお話が多かったことと同義です。もしこの「まんが日本昔ばなし」のお話の中で仮に「スーパーコピー論」が展開され、物語が終焉していたらこれまで以上に唯識論を語る者ばかりのつまらない「令和の今」があったかもしれません。よって、目に見えない世界は「今を生きる者の こころ を育む」=「道徳」と言い換えられるのではないでしょうか。
そして、それこそが宗教が長い時間をかけて担ってきた「救済」の正体なのかもしれません。
よって、【ワンネスのもと、死は存在しないし、死後の世界はあると断言する「生き方」】はむしろ肯定されるべきで、それをわざわざ人様に言わずともあなたの心の中に「しなやかに常在させておく(しのばせておく)生き方」こそが
死を恐れずに死まで生ききる!ための心のビタミンなのではないでしょうか?
お墓はそのための「ツール」であってほしい・・・そう祈って長編連続コラムに一旦幕を引きましょう。
しかし。。。まだ終わらんよフッ( ̄ー ̄)ニヤリ
えっ!まだわからない?どうしたら良いのでしょう、お釈迦様・・・
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